非常に魅惑的な香味料バニラビーンズと蘭科植物であるバニラ、その成長、加工、製品になるまでのルーツをたどってみましょう。
バニラはラン科に属する植物で、さやえんどう状の果実が香味料となります。(詳細は植物学の章参照)
バニラの最初の耕作者は、メキシコのトトナカ族だといわれています。彼らは、この風変わりな果物を神からの贈りものと考え、今日まで栽培を続けているのです。
14世紀、フェルナンド・コルテス率いるスペインの征服者たちは、アステカ族の皇帝モンテスマ2世が、バニラの実を粉々にしてすりつぶし、とうもろこしやゴマと共にチョコレートに加え、黄金のゴブレットに入れて飲み物として大切な客に出していたのを見ました。古代アステカ文明では、熱さまし・月経不順・強壮剤としての薬効を求めて、神秘的な飲み物として扱われていました。ショコラトルと呼ばれるその飲み物をすばやく取り入れたスペイン人たちは、15世紀の中頃までにバニラを輸入し、スペイン語で「さや」という意味の「バイナ」から、バニラと呼ぶようになりました。
16世紀後半には、チョコレート製造の香味料として使用するようになりましたが、生産は人工授粉が考案される1841年までメキシコに独占されていました。
その後ヨーロッパの探検家や植物学者たちが中央アメリカや南アメリカの森林を徹底的に調査するようになり、バニラはますますヨーロッパに広まりました。彼らは新世界の人たちに習い、神経刺激剤や催淫剤などの薬製造にもバニラを使用するようになりました。ヨーロッパ人たちはさらに、もう一つの新世界生産物であるタバコの香りづけに使うなど、独自の利用法も編み出しました。
そして1800年代の初めまでには、ドイツやフランスでバニラの植物採集が行われ、園芸家たちがバニラの育成条件の実験をするようになりました。それらはレユニオンやモーリシャス、マダガスカルなどの新しい熱帯植民地に運ばれましたが、そこで、奴隷労働者がバニラビーンズの生産には人工授粉が必要であることを発見しました。
それ以来、バニラ植物はインドネシア、セイシェル、コモロ諸島、そしてカリブのマルチニークやグアドループに持ち込まれ、今では赤道からの緯度南北20度の範囲にある世界中の熱帯地域で栽培されています。
天然のバニラビーンズはとても高価なもので、1874年に人工のバニリンが合成されてからは合成バニリンが主流になってしまい、天然バニラビーンズのシェアはバニラ香料全体のの10%以下となっています。
以上の経緯があって、現在のバニラ供給国は太平洋地域に多数存在しており、近年ではパプアニューギニア、オーストラリア、タヒチ、フィリピン、フィジー、トンガ、インド、プエルトリコ、中国などの諸国に存在しています。
現在世界におけるバニラ生産の大部分はマダガスカルとインドネシアの2国が担っています。